(この鉢に植えられているのは なーんだ?)
久しぶりに親戚のおばさんと長電話できました。
来年は80歳だよーと笑うモリおばさんは、エネルギッシュだけど、細やかな他人への気遣いもできて、大好きなおばさん。このコロナ禍のご時世でも、おうちに居てできることをいろいろやっているそうな。
バスに乗るのに”全力疾走”して膝を痛めた話。リハビリに通っている病院ではなぜか(膝とは関係ないだろうに)ウォーターベッド治療をしている話。ツーおじさん(母の弟で、モリおばさんの夫。つまり私のおじさん)があいかわらずだという話。
ひとつひとつに相槌をうって、笑っているうちに、らんどく・調子に乗りました。
モリおばさんの昔っからの友人で、ご主人を亡くしてから登山を始めたひとがいるそうで、「どうして彼女が山に登ると思う?それはご主人のいる天国に一番近いからだって」
それまでさんざん電話口で笑い転げていたので、つい勢いで「↑天国にいるか、↓地獄にいるかはわかんないですよね~」 モリおばさんも大うけで「それ今度彼女に言ってみよう。きっと面白がる」
すみません、おばさんのお友達さん。お会いしたこともないのに、失礼なことを言いました<m(__)m>
一時間も話していて、テンション上がりすぎて、まるで二人の酔っ払いのようにグダグダでした。でも今は病状も含めて母の話をできるのは、家族以外では弟ハロくんとモリおばさんだけなので、うれしかった。
母はきれいな施設で、親切な職員さんに世話をしてもらって、毎日平穏に暮らしています。私も普段は母の事を思い出すことはあまりなくなりました。それでも、認知症を患った母との「闘い」の日々がまだ終わったわけじゃなく、今はちょっとの休憩時間だとわかっているので、このご褒美のような時間を甘受しとこうと思っています。
母は症状がすすんでいくにつれて、だんだん世間に対して攻撃的になっていき、お店で、銀行や郵便局で、美容室で、店員さんにくってかかりました。「こんなとこ二度と来ない」「社長を出せ」「私を誰だと思っているんだ」
(いや、ただの怒ったおばあさんでしょう)
また一軒、足を踏み入れられない場所が増えたなとため息をつくこともありましたが、大体の方が温かく見守ってくれました。
いちゃもんをつけているとしか思えない母に、丁寧に対応しながらも、目で「わかってますよ」と合図をしてくれたイオンの文房具売り場のみなさん。認知症であると説明してから通い始めた美容室のお兄さん、もう何年も前に「お母さまが同じことを何度も聞きに来られます」とそっと教えてくれた郵便局のウタさん(「私も母親の介護をしています」とも話してくれた)。
そういう沢山の方々のそれぞれの心遣いで、どんなにか助けられたかわかりません。
いちばん荒れていたころ、弟と母との三人で食堂に入りました。まだ開店したばかりで、他のお客さんがいない時刻だったものの、やはり何かが気に入らなかったのでしょう。
「こんな店はいやだ」と大声で叫ぶ母をつれて店を出ようとすると、お店の方が私の衣を引いて「うちならずっといてくれてもいいんですよ」とちいさな声でささやいてくれました。思わずお顔を見ると、母よりも年配のような店員さんで、「今が一番大変なとき。いつでも来てください」との言葉に、泣いてしまいました。(北海道弁で”泣かさる”と言います)
もしかしたら、いやきっと、みなさんも同じ経験があるのでしょう。
がんばった分だけ、(私たちのような)他の人へ手を差し伸べる余裕があるような気がします。
本日の「これなーんだ」は、↑この続きです。キャベツの芯です。それをすんちゃんが植木鉢に植えてみました。ぜったいキャベツはできないと思う。(一度、にんじんで失敗しています)
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