毎日、夕方にはシエばあちゃんちへ行って、その日の薬のチェックをしたり、冷蔵庫やお財布の中を確認したりしてます。おんなじ時刻に行って、二人でおんなじテレビ番組を見ます。そうすると当たり前のことですが、おんなじコマーシャルが入ります。
この頃増えて来たなあと感じるのは、この時代の新しいお葬式の流れというか、少人数のお葬式のコマーシャルです。たかだか30分程度の滞在中に、2社分が放映されます。そして「ばあちゃんはコレでいいからね」とシエばあちゃんが指をさすのも毎回の事です。
「今、コロナで人が集まれないから、こういうの増えてるんだって」とらんどくが説明するのも毎回の事。お葬式は小さくても、本当に近しい人だけが来てくれれば良いんだと、そう思う人が多くなっているんでしょうね。大きくても小さくても、お葬式はお葬式。そんな風に思ってました。でもそんな普通のお葬式が出来ない場合もあるんです。
知っていますか?コロナで亡くなった人は、葬儀を行う前に火葬場へ運ばれます。病院には今は家族は入れません。お見舞いにも行けなければ、臨終の場にも駆けつけられません。業者の方が手配して、火葬場へ運んで、お骨も拾ってくれます。家族はそのお骨をただ受けとるだけです。
高齢者専門の病院に入院しているじん子さんの容態が思わしくありません。最強戦士のじん子さんだけど、認知症には勝てず、2月には特別養護老人ホームから系列の病院へ移りました。担当のお医者さんから、電話で何度か病状と治療方針を説明してもらいました。高齢者専門の病院なので、重篤になっても高度な治療は行わずに、穏やかに終末を迎えさせてあげたい、そう言われていました。
それは全くもってそのとおり。らんどくも弟ハロ君も全面的に賛成です。どんな治療をしてでも生きていて欲しい、以前はそう思っていたんですけどね。歳をとってヨボヨボというかヨレヨレ・フラフラになっているじん子さんを見ていると、穏やかにっていうのが幸せなのかなと思います。
じん子さんの具合が悪いのもあって、札幌行きを早めました。沢山の約束があって、とても楽しみにしてたんです。だけど新函館北斗駅から高速バスに乗り込む直前に、担当医から連絡がありました。いよいよ危ないよって。
数日前にも電話が来ていて、そろそろ葬儀社さんと打ち合わせておいて欲しいと言われてたんです。先生、電話連絡がまめしいなあ、ありがたいけど。はいはい、わかりました。じん子さん、もう少しがんばれー。娘はすぐ行くぞ。いくら急いでも、面会出来ない事に変わりませんけどね。
その晩遅くに、じん子ばあちゃんの命終の連絡が来ました。そうかぁ、がんばりきれなかったんだね。悲しんでいる暇は無くて、真夜中にあちこち電話して、いろんな手配をしなくちゃなりません。もともと家族葬にと決めてたけど、コロナ禍でさらに小規模なものにしました。それでも予想の倍以上の親類が集まってくれました。
じん子さんの認知症と闘ったこの数年は、私も弟ハロもお互いの家族もとても大変な毎日でした。「辛い」でも「厳しい」でも「悲しい」でもない表現出来ない日々。何となく姉弟2人きりで立ち向かってる気がしてたけど、そういえば近しい親戚の人達はこんなにいたんですね。昔は兄弟姉妹が多く、じん子さんも6人兄弟でした。沢山のいとこ達と、仲良く行き来してた事を思い出しました。
北斗からすんちゃんとポヨも駆けつけて、葬儀は全員で24名。遠方から飛行機を使う方には「お家で手を合わせててね」とお願いしました。東京のおじさんたちは「そうだよね、東京から行く方がかえって気を使わせるよね」 これがコロナ禍時代に葬儀をするって事です。一日でも早く終息しますように。気兼ねなくマスクを外して、食事ができますように。
明日からは区役所なんかで、手続きしなくちゃなものが沢山あります。父・てつじいちゃん、すんちゃん父・れおじいちゃんの時には初七日までに全部終わらせるぞー!!という勢いがあったんだけど、なんだかお疲れ気味なこのごろは、頑張れるかどうか自信ないです。
とりあえずは明日、すんちゃんがルケアに連れて行ってくれるというので、そこで元気だそうっと。ルケアはフィンランドの珈琲と紅茶が美味しくて、このブログの表紙(?)にも使っている写真のお店です。本がいっぱい。癒されたり寛いだりしに行きます。
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コメント
じんこさん、しっかり覚えています。素敵な方でした。
新聞投稿されたあたりが最後のお姿ですが、これからもずっとそのお姿や思い出を忘れません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
そして、お疲れさまでした。
みぷぱぴさん、ありがとうございます。
そして「新聞投稿」??とずーっと考えてました。
もしかしたら雪の坂道での「親切心がアダになった」件でしょうか?
けっこう大変でしたもんね。