新函館北斗駅前の白いオブジェ。夕日に染まってきれいです。巨大エノキ?白いお地蔵様? いやいや違います。北斗市といえば、忘れちゃいけない、これ、なーんだ?
新幹線の駅だというのに、そしてバスターミナルもあるというのに、あいかわらずいい具合に空いています。写真が撮りやすくてあずましいですけどね。(あずましい=落ち着く)
ただの白い固まりじゃありません。シッポ(じゃないかも)の先だけ赤い彼。横から見ると、もうわかったでしょ。
やほー。北斗市のアイドル、ずーしーほっきーです。白目をむいてるようですが、よくよく見ると小さい点のような黒目が(申し訳程度に)あります。左目が上、右目が下を向いているのが可愛いのです。
ここは一緒に写真を撮るためのポイントだそうです。でも隣に座るには、ちょっとらんどくのヨコ幅が広すぎるようです。あと数十センチ、ベンチが長ければ。残念。
ずーしーほっきーは北寄貝(ホッキガイ)のにぎり寿司がモチーフです。お腹のツブツブが酢飯、背中にホッキガイを背負っています。北斗市のゆるキャラを決める時には、いくつかの候補の中から市民の投票で決定しました。
私はもちろんずーしーに入れましたよ。北斗市の顔は、この強力なキャラクターの持ち主しかおらん!!と。(でも正直なところ、他のかわいい感じのものに決まるんじゃないかなと思ってました。ヨカッタヨカッタ)
このずーしーほっきーが、市民に初お目見えしたとき、イベントには沢山の人が集まっていました。それまではイラストでしか知らなかったずーしーほっきーの実物、これはインパクトありましたね。思ったよりも頭が大きくて、足が細い。そして動きが「変」でした。かなり設定を細かく考えていたのでしよう。
大人はそんな感じに、ヨシヨシ良く出来ている的に暖かく迎えましたが、引きつった様に泣いている子どもたちが何人もいました。お母さんに「ほら、写真撮ってやるから」と前に押し出され、激しく首を振りながら後退る姿を思い出します。
今でも街のイベントで働いているずーしーほっきーさん、お疲れさまです。白タイツみたいな脚が、時々太くなったり細くなったりしていますが、それもご愛嬌ですね。
新函館北斗駅にはいろんな説明板が立っています。これもそのひとつ。「1930年代、日本最大のハム・ソーセージ工場がありました」というものです。
カール・レイモンさんのハムとソーセージは、全国的にはどのくらい有名なんでしょう。道南なら知らない人はいないはず。多分北海道でも「美味しくてお値段もそれなり」なので「お歳暮に使う」という認識が定着していると思います。本当においしいんですよー。(木箱に入った熟成サラミ”をお歳暮に贈ったら、洋酒好きのご主人からおつまみに最高!!と連絡がありました)
新函館北斗駅のある市渡(いちのわたり)という地域には、1933年にレイモンさんが作った食肉処理加工場がありました。畜産施設とサイロもあって敷地内に敷かれたレールにはトロッコが走っていたそうです。
道庁から開発を断られたレイモンは、昭和4年、大野町に工場を建て、三千坪の土地に牛三十頭、豚三百頭、羊三十匹を飼い、畜産施設、サイロ、食肉加工場を造りました。
『レイモンさんのハムはボヘミアの味』165頁(シュミット村木眞寿美 河出書房新社)
昭和八年(1933)、ドイツ人カール・ワイデル・レイモンが(中略)畜舎から出る厩肥などは畑の肥料として近くの農家に提供し、代わりに寝ワラを分けてもらったり、特に牛や豚の骨を砕いて作った肥料は農家の人々から評判がよかった。
『新大野町史』382頁
資料によって「昭和4年」だったり「昭和8年」だったりしますが、着工と完成の年なんですかね。工場は昭和13年に政府に強制買収されて、その後いろいろあったのちに函館に移ります。
今は函館の鈴蘭丘町に新しい工場があって、工場見学も受け付けています。何年か前にサークルの皆と出かけたときは、商品の試食が用意されていました♡今はコロナの影響もあるので、どうなのかわかりませんが。
レイモンさんは美味しいハムを作る人ですが、動物好きでも知られています。前置きが長くなりましたが、ここで問題です。
当時、レイモンさんが飼っていた動物は、次の選択肢のどれでしょうか。①ネコ②サル③ワシ④クマ⑤ライオン⑥全部
答えは⑥全部です。レイモンさんは動物園を作ったそうです。”道内最初の動物園”と説明板には書いてあります。近隣の小学生が遠足に来たそうです。
動物園があったことは知っていました。小学校の副読本や大野町教育委員会が出した文化財についての資料なんかに載っていたんじゃなかったかな。(こんなへなちょこ頭のらんどくですが、近隣のあちこちの地方史サークルに入ってます。ほとんど幽霊会員です)わからなかったのは、ライオンなんかがいったいどこから来たのかって事です。
そしてどうやって運んだんでしょう。仔ライオンなら、胸元に抱えて「ほら、お土産だよ」なんて図もアリですが、北海道初の動物園っていうのなら、そのへんに仔ライオンがごろごろいたとは思えません。
これはらんどくの「いつか解けるはずの謎」のひとつです。ときどき思い返しています。きっといつかは答えに出会えるはず。今回はライオンがどこから来たかは分からないけど。どこに行ったかは載っていました。前出の「レイモンさんのハムはボヘミアの味」にありました。「日蝕」が関係していました。
まず、「日蝕」時に動物たちがどうなるかを新聞記者が取材に来る→レイモンさんが新聞記者と意気投合して「ライオンをやる」と言い出す→記者が函館市長と相談して、函館公園で引き受けることにする→ライオンの名前を公募→命名式には東京の「ライオン本舗」からハミガキ120個が贈られる。だったそうです。ライオンも波瀾万丈です。
この日蝕は皆既日食だったようで、動物たちがおびえて住処の中に入ってしまったという記述がありました。20世紀に日本で見られた皆既日食は3回だけだったので、このときにレイモンさんが新聞記者と見たのは「1936年6月19日」のものだとわかります。
次回の「北斗市なぞなぞ」は箱館戦争の史跡を予定しています。でも雪が深かったら写真を撮りにいけないので、どうなるかなあ。いくつかの地方史サークルで、先輩方や講師の方に「地方史で大切なのは自分の足でその地に行って、その目で見ること。フィールドワークだよ」と教えていただいたものの、山の中や古い建物は一人は怖いもんで、なかなか踏み切れません。
日蝕の話に戻ります。たしかジュブナイルSFシリーズで、過去にタイムスリップした男が「皆既日食の日時の記憶」を使って、ピンチを切り抜けるものがあったような気がします。今思えばよくある設定だけど、それがらんどくの「初タイムスリップ物」だったわけで、よく覚えているんです。何だったっけなー、気になるなあー。年末の忙しい時期だけど、書棚を漁っちゃおうかなあ。
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コメント
こんにちは!今回はなぞなぞが盛りだくさんですね。一問目は最初の写真で分かりましたよ。「ずーしーほっきー」かわいーい!…でも大人の私だから言えるのかも。4,5歳の自分が見たら泣いていたかもしれません…おなかのつぶつぶが怖くて。足の太さと長さは「中の人」次第なのですね(^^;) いつか動きも見てみたいです。カール・レイモンは全国規模だと思っていました。歴史を紐解くと面白い事実が出てくるものなのですね。ライオンのお話はなんだかシュール…日蝕の記憶でピンチを切り抜けたジュブナイルも気になります。私はジュブナイルといえば光瀬龍氏・眉村卓氏の大ファンでした。
ナツメグさん、こんにちは。ずーしーほっきーは、本当にかわいいんですよ。そして脚の太さが変わるのは、彼の体調によるもので、「中に入っている人」って何ですか? そんなことあるわけないじゃないですか。あわわ。
ジュブナイルはいいですよね。ときどき読み返しますが、当時の自分が夢中になったのも納得です。私も光瀬龍、眉村卓が好きでした。そして光瀬龍が原作の「百億の昼と千億の夜」(萩尾望都)には、もうやられていました。