意冨比(おおひ)神社には大鳥圭介

ほん
旧大野町の意冨比(おおひ)神社。なぜこの字?

確定申告に行って参りました。さぞかし混雑してるだろうから、待ち時間用に本を何冊か持たなくちゃ。かなり丁寧に吟味して、とりあえず2冊選びました。一応しかめ面で「いやー参ったなあ」のポーズを取りつつ(何故?)いそいそと会場に出掛けました。

普段ゆっくりと本を読む時間はありません。なので「待ち時間」は大好きです。いくらでも待ちますよー、どんとこい確定申告,できるだけゆっくりね、です。今日の会場は北斗市公民館。駐車場が満杯です。やっぱり混んでるのかなあ、それにしては人が少ないようですが。受け付けすると「6番のブースにどうぞー」。まさかの待ち合い席スルーでした。あれー?

結局、せっかくの吟味本は1ページも開けず、それどころかあちこちのブースにチラチラ見える知り合いに挨拶する間もなく、帰って来ました。ちょっとしょんぼりなので、帰宅途中にある意冨比神社に寄ってみました。もちろん誰もいません。

ひげを蓄えるともれなくダンディに見えます

新函館北斗駅前には土方歳三さんの柱がありますが、ここには新撰組伝習隊長の大鳥圭介さんの柱があります。この意冨比神社は「おおひ神社」と読みます。読めないですけどねー。”比”はまだしも”意冨”を”おお”とは、なかなか厳しいです。そしてこの「柱」は公式には「モニュメント」と呼んでいるようです。モニュメントね、了解。

この神社あたりも箱館戦争の舞台になった場所で、境内のイチイの木にはその時の銃痕が残っているそうです。でも「ここだよ!」とかいう目印もなく、おまけに樹齢350年を越えんとする大木なもんで、ぜんぜんわかりません。戦争の様子や大鳥圭介さんの活躍についてはモニュメントの裏に、親切にも見やすい地図が載っています。戦況についての看板もあります。

両軍の侵攻が詳しく載ってます。

大野町時代の説明文

この神社の周りにはいつも行く小ぶりなスーバーや郵便局、昔の町役場(今は総合分庁舎)、病院なんかが並んでいます。昔は大野十字街と呼ばれていたあたりで、シエばあちゃんなんかは今でも「十字街のところにさぁ」とか言ってます。町の中心地だと言う事でしょう。私も数えられない位、この神社前を通りました。その割にあまり良く知らないというか、ここが箱館戦争の・・・なんて感慨深く思ったこともありませんでした。

せっかくわかりやすい看板があるのに、真剣に読んだこともなかったかも。地元の歴史サークルに足をちょろっと入れてるらんどくでさえ、そうですもん。行き交う市民の皆さんにとっては、看板もモニュメントも風景の一つになっているのでしょう。勿体無いことです。

読みたかったな、確定申告の待ち時間に

さて、今日の確定申告には2冊の本を持っていきました。宝島社新書の写真がいっぱい本『神々が宿る絶景100』と、その下敷になっている『屋根の上のバイ…』です。有名なミュージカル・屋根の上のバイオリン弾きかと思わせておいて、実は『屋根の上のバイリンガル』というエッセイです。白水社uブックス。ちょっとイイでしょ、屋根の上のバイリンガル。ジャケット買いならぬ、題名買いしちゃった本です。そして当たりでした。

作者の沼野充義さんはロシア・ポーランド文学専攻で、ハーバード大学で博士課程を送った方です。文化の坩堝(ルツボ)アメリカで、多言語の海を泳いでいます。シカゴのポーランド人街で歓待を受け(なにせアジア人がポーランド語を話すもので)、マンハッタンはずれの食料品店でクロアチア人店主に喜ばれ(なにせアジア人がクロアチア語を、以下略)、ウクライナコミュニティのおばさんと大学のウクライナ研究所の話で盛り上がる(なにせこの人はウクライナ語も、以下略)エッセイは、言語学好きにはたまりません。

(ところでこのハーバード大学のウクライナ研究所は、アメリカに住むウクライナ人の寄付によって支えられているアメリカでただ一つの研究所だそうです。)

なかなか読めないので、つんどく(積ん読)ばかりが増えていきます。実は大鳥圭介本も少し読みたいなあと思ってまして、また本を増やしてしまうかもしれません。恥ずかしながら「大鳥圭介」ときくと、昔の漫才師『京唄子・オオトリケイスケ』の方を思い出してました。こちらは鳳 啓助と書きますけど、オオトリケイスケでございます~と言っていたあの声で覚えているわけです。箱館戦争のほうのオオトリさんの本で上書き保存しなくては。いくぞ、らんどくつんどく、さらにあいどくきどくそくどく(愛読・既読・速読)!!

そんな事する暇があったら早く読めと、だれかツッコミいれて下さい。

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