まつごのかし

めし

(シエばあちゃんが食べたがっていたので、ずっと探していたドライバナナです。以前はスーパーなんかで見かけてましたが、最近は見つけられずにいました。

私も子供の頃に食べた記憶があります。少しねっとりとした黒っぽいバナナが、一本ずつキャンディ包みされていました。酸っぱいような甘いような、クセになる味とでもいいますか、シエばあちゃんが「あれ食べたいなあ」と言うのもわかる気がします。)

小学校4年生まで住んで家は山の上にあって、学校までは子供の足では1時間ほどかかりました。私の家は校区のはじっこで、学校の生徒の中でいちばん遠かったんです。山を下りて、小さな商店街を通って住宅地を抜けて、正門まで長い坂をだらだらと登らなければいけませんでした。

毎日通るその商店街に古いお菓子屋さんがありました。昔ながらのお煎餅やこんぺいとうや、マコロンなんかがガラス瓶に入っていて、それを小さいスコップみたいなので掬ってくれました。お菓子の中に小麦粉でできた茶色いせんべいがありました。四角くて表面に白い砂糖のアイシングが塗ってあって、さらに青のりと黒ゴマがかけてありました。

名前も知らない、食べたこともなかったそのお菓子が、小さい私にはなぜか美味しそうに見えたんでしょう。地味な色合いなんですけどね、見たとたんに「まつごのかしだ!」と思ったんです。

「まつごのかし」は「末期の菓子」と書きます。ずっと昔、たぶん江戸時代あたりのことでしょう。(これは適当です)牢につながれている囚人が、次の日に処刑されるというときに、この世の名残にいちばん美味しい菓子を振舞われる(ちょっと違うかな。配給されるかな)というものです。

当時読んでいた学習雑誌の雑学コーナーのようなところに書いてありました。そのちょっとドラマチックな由来に、らんどくの頭からは「処刑される前に」や「この世の名残」なんかはスッポリと抜け落ち、末期の菓子イコール『いちばんおいしいお菓子』となったのです。

空想の中でその店の「まつごのかし」は甘くてサクサクで、ちょっと香ばしいものへと変換されていき、どんな味なのか食べてみたい食べてみたい食べてみたい、と三回もリピートするほど気持ちが募っていきました。

商店街の近くの小さいアパートには、チヨばあちゃんが暮らしていました。母方の祖母です。つまり今施設で暮らしている実家の母の母親です。私とは47歳しか違わなかったので、このころだってまだ50代半ばでした。(でも孫の私からは、ものすごいおばあさんに見えていました。)夫を早くに亡くして、当時は一人暮らしでした。近くに住んでいた孫の私をとても可愛がってくれました。

「らんどくちゃん、何か食べたいものはないかい」

ある日、買い物に出たチヨばあちゃんが聞いてくれたので、迷わず「まつごのかし!」と答えました。チヨばあちゃんは???の表情をしながらも、あの店のあのお菓子を買ってくれました。茶色くて四角で砂糖衣と青のりがかかっているやつです。お店の人が小さいスコップで掬って、量って、紙の袋に入れてくれました。

(形は違うけど、ネットで調べた中ではこれが一番近いと思う。かわら煎餅の手法で作られた小麦粉のおせんべいだそうです)

おそるおそる口に入れたその味は、といえば、もちろん美味しかったです。甘くてサクサクで香ばしかったです。そして予想どおりといえば予想通りだったんですが「自分にとってものすごーく美味しいというほどでもないな」と、バチあたりなことを思いました。もちろん上の写真のおかだ製菓さんのものではありません。

そして「自分だったら、さいごの食事に何を出して欲しいか」と考えたりしました。食べるものに関しては、早熟な子供でしたね。

テレビの対談や、有名人へのアンケートなんかで「今日がさいごの日だとしたら、いったい何を食べたいですか」というのがありますね。自分だったら、と一度は誰でも考えたことがあるでしょう。

やっぱりステーキやお寿司でしょうか。それともシンプルにおむすびとお味噌汁でしょうか。

ここで「ちょっと待てよ?」と思います。今日がさいごの日って、どんなシチュエーションだろう?そこがはっきりしない事には、正確に答えられません。

①牢内の囚人の最後の晩餐だろうか。②それとも病気の人が最後の力を振り絞って口にする食事だろうか。③もしかして明日が『地球最後の日』なんだろうか。

明日が地球最後の日ならば、食料の調達は自力でやらなければなりません。どこのコックさんも最後の日にまで他人の世話はごめんでしょう。開いている店があったとしても、一人ひとりの細かい注文に応えてもらえるとは思えません。

せめて今のところ何処よりも美味しいと思っている「ドレッドノート・ベイクショップ」(札幌市中央区)のアップルパイを入手して、明日で終わりを迎える地球や、人類や、地球上のすべての生き物たちに思いをはせながら「やっぱりパイには紅茶だよね」とか言ってみたいものです。

病気が進行していわゆる「余命いくばくもない」状態だったら、最後に食べたいものを食べられる自由があるのでしょうか。ちょっと気になる本があります。

ハンブルクにあるホスピスで働く料理長とその入居者たちに取材したドキュメントです。ホスピスに務めているシェフの側からの視点で書かれているので、医療についてはあまり触れられてはいません。食べることを通して、人生の最期をどう迎えたいか、どう生きたいのかを考えていきます。

実家の母は、今はもう固形物が飲み込めません。ムース状、またはペースト状の食事を出してもらっているはずです。それでも毎月の「リモート面会」(今はこんな時代なんですよー)で「お母さん、ミカン食べたい?持って行こうか?」と聞けば「食べたいっ」と大きな声で返事をします。ミカンが何かはわからなくても。そして私が誰かは分からなくても、食べたいっと言います。これってスゴクないですか?

コロナで面会ができないので、まだ母の病室に入ったことはありません。冬がやってきたものの、寒くないのか、部屋は暖かいのかと気になります。もちろん、どんな風に食べているのかも。

雪が積もって、隣のお宅の畑も真っ白です。これは畑の真ん中にあるストーブです。夏の間、農作物のごみなんかを燃やすのに使っていたようです。最近はあまり使われていません。

雪が深くなると、このストーブがだんだん埋もれてきます。さいごには煙突の先だけが雪から頭を出しています。根雪まではまだまだ、でもそろそろ、といった感じです。冬好きのらんどくですもん、待ってますよ、冬将軍。

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コメント

  1. ナツメグ より:

    江戸時代に『末期の菓子』というものがあったんですね。昔の日本にもそんな風習があったなんて意外です。処刑前の囚人が好きなものを食べるという伝統は、欧米から来たものとばかり思っていました。
    病気などで身体が弱って食べられなくなっていくのを見るのは辛いですね…
    『明日地球最後の日』が突然やってきて、人々は何故かパニくることもなく落ち着いてて、親しい人と連絡を取り合ったりしながら穏やかに最後の夜を迎えるってのがあったらいいかも。現実にはあり得なそうですけど。
    家族との最後の晩餐ならスキ焼でしょうか。もし私一人だったらサッポロ一番塩ラーメンに卵とゴマ入れて最後の食事にします。

  2. ナツメグさん、こんにちは。
    12月になってしまいましたね。

    ところで「末期の菓子」はネットで探しても、出てきません。
    日本全国で行われていたんじゃないかもしれません。

    さいごの晩餐が「サッポロ一番」ですか。サンヨー食品さんも、さぞや喜ぶことでしょうね。私は醤油ラーメン派です。