耕雲種月 雲を耕し、月に種まく

「老い」に向き合う

息子たちからの記念品。漆塗りの汁椀と夫婦箸、それにめでたい富士山柄の箸置き。せっかくだから折り紙でちゃんちゃんこを作ってみました。

赤いちゃんちゃんこは60歳の還暦用。今回「ちゃんちゃんこ着たい?レンタルもあるよ」とポヨ(還暦祝実行委員長)に言われましたが、速攻でおことわりしました。素直じゃない60歳です。まだまだいろいろ足掻きます。

還暦のあとの70歳古希・77歳喜寿は紫。80歳の傘寿と88歳の米寿は黄色いちゃんちゃんこ。さらに続きます。90歳卒寿・99歳白寿・100歳百寿はそれぞれ紫・白・桃色だそうです。そんなに色を違えてどうするね、業者の陰謀かね、とかいいつつ桃色はかわいいなあ。さすがにその頃は着てみようかなと心揺れるらんどく。

すんちゃんと私はおんなじ昭和36年生まれで、当然めでたく還暦も一緒に迎えました。離れて暮らす次男ピカも呼んで、家族4人だけのこじんまりとした集まりをしました。コロナの非常事態宣言解除がぎりぎりで間に合ったので、ピカも大手を振って夜行バス+フェリーで参加しました。

こじんまりとしたのは、コロナの事もありますが、実際に年を重ねていっても「さあ還暦だあ」という実感がわかないからでもあります。たしかに白髪は増えてるし関節はあちこち痛いけれど、若い頃に持っていた「還暦イコールばあちゃん」というイメージより断然元気なのです。私もすんちゃんも、そしてほぼ一緒に還暦や退職に直面している友人たちもみな元気。こんなんでは還暦祝ってもらうのもちょっと違うというか。

それでも家族そろって少しいいホテルに泊まって、温泉に入ったり、超美味しいと言われる朝食バイキングに挑んだりするのも、たまにはいいかもしれません。こういう事でもないと忙しいピカは、盆も正月も帰って来やしませんし。(祝い系と法事系には出席する律儀な次男です)

久しぶりに家族が揃って、晩の宴はすき焼きの名店で、普段食べている物のウン十倍もするお肉をいただきました。蕩けるようでした。ありがたいありがたい。拝みながら食べました。

還暦は暦が一巡りして、始めに還ることです。また「赤子」からやりなおし、それも良いかもしれませんね。このごろは若い頃よりも余計な欲なんかがどんどん削ぎ落されて、考え方もシンプルになっていく感じがしています。

感謝して食べるっていうのもその一つです。もともと日本には食事の前に「いただきます」と手を合わせたり、合わせなくても声にだす習慣がありますね。子供のころから「食べるということは命をいただくこと」だと、親や学校から教わります。それでもこのごろの「感謝」の度合いはそれとは違うなあと思うことが多いです。

この気持ちはどんどん強くなるものなのでしょうか。このあとまた60年を生きると、今度は「大還暦」がやってきます。さすがに「大還暦」という名前だけがあって、ちゃんちゃんこの色は決まっていないようですが、きっと金色ですよね。超めでたい感じがします。目がくらみそう。

ちゃんちゃんこと富士山箸置きに囲まれた「種月」

すきやきを食べながら、お酒もいただきました。持ち込みした、今回の祝い酒です。秋田清酒さんの「種月」(しゅげつ)です。これは酒屋さんのイチオシでした。家族で祝い事があるんですと相談したら、まっすぐ棚に歩いて行って「それならこれですね」と。

味ももちろん素敵だったけど、下戸の私には上手に説明できません。美味しかったー、が最上級の誉め言葉です。それよりも「種月」という名前にくらくら来ました。

種月という名前の下に「耕雲種月」とも書いてあります。耕雲種月。こううんしゅげつ、と読みます。 訓読は「雲に耕し、月に種(う)える」。もともとは禅の言葉のようです。曹洞宗の禅問答に出てくるそうです。

「耕雲とは雲の下で耕すこと。種月は月の照らす中で植えること。困難な状況でも耕作すること」と書いてある資料もあれば、「雲を耕し、月に種まくように、無理なようなことでも一歩ずつ努力していくこと」とする資料もあります。

月の下で種まくのか、月に種まくのか。ずいぶん違いますね。もと天文研の私たちとしましては、月に直接種まくほうが好みです。もちろん。(このブログの名前も『本と飯と虫 ときどき星』ですもん。この最後にくっついている「ときどき星」のところが大事!!)

とかなんとか、とりとめもなく語らって、めずらしくお酒もまわったところで、ふらふらとホテルまで帰りました。寒い夜で、家族4人で固まって歩いていました。

函館には路面電車が走っていて、電車用のレールが道路に張り巡らしてあります。この夜は少し降った雨で道路が濡れていたんですね。横断歩道を渡って、電車のレールをまたいだところで、すべって転びました。

ばたん。というより、べたんという感じ。手もつかないで胴体から真横に倒れました。そして最後に頭がコーンとぶつかりました。

いやー。これは久しぶりに痛かった。牛のように(?)唸ってしましましたよ。

うーんうーんと唸っていると、ありがたいことに連れは力持ちの男衆3人組。大騒ぎしながらエッサホイサと歩道まで担がれ、坂本竜馬の像の横のベンチで確認。傷だらけではありますが、どこも折れていなくて、明朝のバイキングにも参加できそう。大事をとって大浴場は諦めました。

男衆はそれぞれ言いたいことを言っておりました。足が全然あがっていなかったから転んだ、筋肉がないから踏ん張れなかった、レールに躓いた瞬間を私は見た。すんちゃんは「すごかったねえ、マンガ転びだったねえ」

転んでから3日たちましたが、ひざや手指の傷もさることながら、身体全体が筋肉痛のように痛くてだるいです。きっと転ぶときに身体中が身構えたからでしょう。それでもまあ、朝ご飯に元気に参加して、90分の制限時間いっぱい食べたられたから「良し」としましよう。

これは次男ピカが1回目に持ってきた、野菜とタンパク質中心お皿。野菜の上のひき肉のようなものは大豆ミートです。

食べたものはどれもおいしかったけれど、種類が多すぎて食べられないものがまだまだありました。うーん残念。続きを食べるために、まだまだ励むぞ。耕雲して種月するぞー

コメント

  1. 火星ぱんだ より:

    家族が揃ってのお祝い、いいですね。ブログを読んでとても暖かい気持ちになりました。
    還暦、おめでとうございます。
    これからも、らんどくつんどくさんの人柄が感じられるブログの更新を楽しみにしています。

  2. ナツメグ より:

    その後お身体の方はいかがですか?筋肉痛良くなっているとよいのですが・・・
    還暦おめでとうございます!
    優しい息子さんたちですね(*^-^*) 漆塗りの汁椀と夫婦箸と箸置きもお洒落で素敵です。
    もしも月に種を植えて田んぼや畑ができたら、ぜひ教えてくださいね。望遠鏡で覗いてみます!

  3. 火星ぱんださん、ナツメグさん。暖かいコメントをありがとうございます。

    久しぶりに家族がそろいましたが、10数時間かけて来たピカは、ホテルに一泊しただけでまたフェリーに乗って帰ってしまいました。せっかく自宅も大掃除したというのに・・・・(´;ω;`)ウゥゥ

    うれしくてみんなで沢山話しかけるから、鬱陶しかったのかもしれません。たまにしか帰ってこないおまえが悪いのじゃ、と心の中で言いました。

    出稼ぎに行ってるお父さんを待つ子供たちの気持ちになりました😊