実家は浄土真宗でした。すんちゃんちは禅宗だけど、家には仏壇がなかったので(つまり誰もこの家で亡くなっていない)、私が違いに気づく機会はありませんでした。
数年前にすんちゃんのお父さん「レオじいちゃん」が亡くなって、はじめて禅宗にふれる事になりました。
教義の違いなんてわかりません。それはわからないけど、お経のリズムがぜんぜん違うなあ、とはド素人でもわかりました。浄土真宗は流れるようなゆったりとした感じ。そして禅宗はメリハリがあって力強い感じ。
レオじいちゃんの葬儀で、はじめて生で般若心経を聴いたときはびっくりしました。般若心経そのものは知っていましたよ、でも教養のひとつというか、そう思っていたのです。なので「え、ここで出るんだ、ビッグネームが」と。
そしてもっと驚いたのが、会葬に参列していた人が何人か一緒に唱えはじめたこと。よくアニメでびっくりすると目がビヨーンと飛び出るけど、あんなかんじです。
みんな、どうして般若心経唱えられるの?それって普通のこと?それともこの地域の禅宗が特別なの?
中学校の期末テストで監督にきたS先生が、上着の内ポケットから出したのが新書版『般若心経』でした。まだ20代だったS先生は人気者で、彼が読んでいた本が気になった生徒がたくさんいたのでしょう。テストのあとに何人かが先生を囲んで質問していました。今思えば、試験監督にきて読書するんじゃないっ!!て感じですが。
そんな程度の認識しかなかったのです、般若心経というか、禅宗そのものに。(すいません、バチあたりかな)
レオじいちゃんのお葬式のとき、うちのお寺のお坊さんは、よく響く低い声で読経してくださいました。一緒に唱える様々な声。それがひとつになって、葬儀という場なのに「癒される」というかそんな気持ちになりました。声の不思議、場の不思議ですね。これ、もう少し考えていきたい問題です。
では最後にサービスショット。うちの桑の葉を食い尽くそうとする毛虫さん。お盆に何の関係があるのかって? あれ、六道輪廻の中に虫さんは無かったかな。
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